• Yasuki Sakurai

公衆衛生とリベラルな価値観は相性が悪いですね・・・。


今は毎時間のように感染者数と死者数、その後の予測が数字とグラフで示され、医療崩壊の映像がメディアで報道され、私たちはこうなってはいけないと自粛を続けています。

同時に、このような社会状況を続けた結果の失業者数、それによって貧困に陥り生活に行き詰まって心身に不調を来たす人、自殺をする人の予想が示され、それらも同様に日々メディアで可視化してほしいと思います。

これらのリスクもコロナと同様に考え報道すべきではと思います。

そして双方のリスクに対して、私たちはこの感染症のリスクをどう徹底的に避けるかではなく、どの程度引き受け、どう付き合うかということになるのではと思います。


「不要不急」という言葉の先に感じたことがあります。私たちは「不要不急」の外出を避けろと言われていますが、「不要不急」と言われたその先に、仕事をしている人たちがいて、その仕事をしている人たちにとって、その場所は「不要不急」どころか、「必要火急」です。

そして、その生活が回らなくなれば当然かれらの命は真綿で首を絞められるように危険に晒されていきます。

「命と経済」の話ではなく「命と命」の問題です。

「感染リスクを下げる行動は善」「感染リスクを上げる行動は悪」そしてその背後には医療崩壊をさせてはならない、亡くなる人をできる限り出してはらないということからの思い。

これはあまりに正しすぎて反対することができません。医療崩壊はしないほうがいいし、亡くなる人は少ないほうがいいに決まっていると思います。


インフルエンザの感染者数は国内で推定1000万人、死者は1万人と言われています。

でもその事実を知っていても、私たちは生活を止めようとは思わない。なぜなら私たちはそのリスクをある程度回避しつつ、それらがもたらす危険を受け入れて生きていくしかないからです。

生きるということは、不測の事態とともに生活するということだと思います。もちろんそれを甘んじて引き受ければいいというわけではないし、それを避けるための努力をしなければいけないと思います。


でも最大限のリスクヘッジをした結果、社会が死んだら意味がありません。


出口が見えないまま元気な人の生活を止め続けた結果、社会全体が「廃用症候群」のようにならないことを願います。









96回の閲覧

© 2020  NKSC.All Rights Reserved